ありがとう、超兄貴。
1ヶ月ほど前に、
大きなものを失いました。
絶対は無いということを突き付けられました。
しかしその出来事から多くを知り、学び、出会い、繋がり
蝕まれそうだった心に収まり切れないほどの温かいものを得ました。
同じ親に生まれ
同じ家で同じご飯を食べて育ち
時に一緒に怒られ、時に一緒にバカ笑いをし
いつしかそれぞれの見つけた道へ歩き出して行ったきょうだい。
フツーの兄だと思っていた。
だけど、周りにいてくれていた人から聞く兄は
豊かな顔をたくさん持っていた。
とても自然で、ユニークで、
食べることも振る舞うことも好きで
カメラを向けても照れることなく
真っ直ぐ見て笑って写っていて
作品に向かう顔は真剣で、
楽しむこともまた真剣で。
フツーの兄だと思っていた彼を
しばし客観視してしまうことが何度かあり、そのたび
『この人はなんて羨ましい生き方をしていたんだ』と呟いていました。
知らない間に彼が積み重ねた時間の中で生まれたものは
言葉では表現しきれないほど素晴らしいものでいっぱいでした。
私たち家族は彼が選んで愛したドイツの小さな街で
生まれ育った別府で
その素晴らしいものと
たくさんたくさん、触れ合うことが出来ました。
この期間、
どれだけの人にどれだけ『ありがとう』を言ったか分かりません。
本人が言えない分、代わりに伝えようと
心を込めてありがとうを言いました。
不謹慎なのかもしれないけれど
こんな素晴らしい言葉をたくさん言えることに私は半分嬉しくて
お通夜や葬儀に足を運んで下さった方々をなるべく笑顔でお見送りしようと努めました。
彼ならきっとこうしようと思うんじゃないかと思いながら。
人はやっぱり何かを失って初めて
そのものの大切さ、大きさを知るのかなと、
日常が当たり前と思っていますもんね。
明日が来るのは当然、
目覚めることも当然、
身近な人は居て当然と。
私もこんなことが起きるとは想像もしたことが
ありませんでした。
引き換えたものは大き過ぎますが
1人の人間が見せてくれた、教えてくれた生きざまは
私を含め家族や友人、そのまた周りに繋がっている人全てに
気付くための時間を与えてくれたと思っています。
私がこう書くことで、
また誰かが目にして
少しでも周りにある日常を実は特別なものだと
違う角度で見ることが出来るキッカケになったら嬉しく思います。
しかしまた更なる無言のプレッシャーを頂戴したらふらふは
こりゃまた今まで以上に頑張って楽しまなければなりません。
彼に負けてはいられません!
どうぞ皆さま、
これからもらふらふと一緒に真剣に楽しい時間を分かち合って頂けませんか。。。♪
宜しくお願いいたしますね☆
おやすみなさい。。。